それぞれの震災 ①重度知的障害者の支援現場にて
この世に生を受けたひとの 一人ひとりに物語がある。
あのひとにはあのひとの、彼女には彼女の、彼には彼の、あなたにはあなたの 物語が。
2011年3月11日 東日本大震災のあった日
私は東京の ある障害者福祉施設で、重度知的障害者の指導員として仕事中でした。
これまでに経験したことのない規模の激しい揺れがなかなか收まらず、テーブルの下に潜る様に職員が声を掛けました。ほとんどの教え子が驚いたり怖がりながらも身を守るべくなんとか机の下へ潜ることができた中、潜れない教え子が二名いました。
私の右手
「テーブルの下に潜りましょう!」他傷行為のあるAさんは、何度言ってもニコニコ笑っているばかりでした。みんなが怖がっている様子を見て、楽しそうにしていました。どうしても潜れない。激しい揺れの中、危険を感じたり、自ら身を守ることが難しい。
障害が重いということは こういうことでもあるのか。
やむを得ず私は、右手は手を繋いだ状態で、Aさんの頭部を守る様に覆い被さりました。
私の左手
もう一人は多動のBさん。
3mほど先のスチール書棚が激しい揺れでバタンと倒れ、そこに使われていたガラス戸が割れて床へ飛び散ったところへ、強い力でなにがなんでも向かって行こうとする。ものすごい力だ。でも、向こうへ行ったら必ず怪我をしてしまう。「Bさん!行かないで!テーブルの下へ潜って!」聞かずに繋いだ手を振りほどこうとする。いや、怪我をさせるわけにはいかない。私の左手はBさんの手から手首へ持ち替えました。アザになるかもな、と思いつつ、強く握り続けました(後日お母様へその旨 状況を説明し、ご理解をいただきました)。
テーブルの下へ潜れない方がいる。
震災後、職場へ「必要だからヘルメットを買ってください」と伝えました。
しかし、ヘルメットが備わったのは震災からだいぶたった数カ月後のことでした。
その間にも 数えきれないほどの余震がありました。
震災なんて、経験しないほうがいい。
しないほうがいいけれど。
普段から危機管理・安全管理を意識して仕事をしてきていても、それでも、実際に震災を経験して初めてわかることも あるのでした。