ロビンさんのワクワク研究室

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支援のセンス湧くラボ:虐待防止 ①祖母の話

私のおばあさんは、亡くなる直前に入院した病院で虐待を受けました。

もう三十年以上前に亡くなった祖母の話。

だけど、大人になった今でも忘れることはできない。

 

 当時私は小学生でした。祖母とは一緒に暮らしてはおらず、年に一回、夏休みに家族で田舎へ行くと会えるのでした。のどかな田畑、山、川に囲まれた、野菜のおいしい自然豊かなところ。おばあさんは、夜になると「おやすみ」のかわりに「ションベンたれて寝ろ(トイレで用を足してから寝なさい)」と私たちに声をかけてから自分の寝床へ入った。いくつになってもきれいでいようとする心を忘れない人で、私達が遊びにお邪魔した際にみんなで集合写真を撮ろう!ということになり、みんなが庭に出て来ているのになかなか出てこない。ちょっとだけ待たせて、おばあさんはピンクの花がらのワンピースに着替え、お化粧をして登場しみんなをずっこけさせた。そんな可愛らしい素敵なおばあさんでした。

 

おばあさんは更に歳を重ねて行くうち、ある時体調を崩し、当時長男夫婦と内孫と住んでいましたが、諸事情有り 地元の総合病院に入院し、その後なぜか同県の精神病院へ転院となりました。周りの声を訊く限りその時彼女が今で言うところの認知症の症状が出ていたとも考えにくく、精神状態がそこまで不安定だったとも考えにくいのですが、なぜ精神病院への転院となったか、経緯がわからない。

その精神病院へ見舞いに行った親戚が、おばあさんから「家に帰りたい」と言う言葉を聞いた。

精神病院から退院したおばあさんは更に具合が悪くなっていて、実家から連絡を受けて会いに行った母が見たおばあさんは「別人になっていた」。もう実の娘とはわからなくなっていて、あさっての方向に視線が行っていた、と。床ずれ(褥瘡)もあった、と。

 

おばあさんが入院していた精神病院で何があったのか。

おばあさんはお風呂に入れてもらう際、職員に抱きかかえられ浴室まで行くと、硬い浴室に落とされたと。シャワーは熱湯だったり冷水だったりしたんだと。本人が不満を訴えたら、おとなしくなる注射を打たれたんだと。そばで暮らすおばの言葉として後日又聞きで私は知るのです。

 

田舎から離れた東京で暮らす当時まだ小学生だった私には、おばあさんを助けに行くことができませんでした。

助けに行くことができなかったとはいえ、子供ながら事実が知りたいと思っていました。それはどこの病院なんだ。どこの病院か、名前も知らずにうやむやに終わらせたら、おばあさんは浮かばれないだろう。病院名を知りたい。当時はインターネットなどなく、少しでも手がかりになる情報を調べようとすればテレビやラジオ、新聞、週刊誌か図書館だけでした。結局病院名はわからないまま、三十年以上の月日がたってしまった。

 

おばあさんは、悔しかっただろう。

 

大人になってからも、そのことが 頭から離れない。

 

私が障害者福祉の仕事に十年以上携わり、途中で介護福祉士の国家資格取得に挑戦しよう、絶対受かろう、と思ったのは、このことも理由の一つになっていました。あの時私はおばあさんを助けてあげられなかったけど、私は、人権人格を尊重した心地良い介助をしよう。

職場でも「それは虐待じゃないか」と思われる場面を何度も目にしてきた。

もしも自分だったら。

そう思うと、見ぬ振りなどできないし無関心でもいられない。先輩や上司に対して、虐待をやめさせることが何度かあったし、一度だけその場では助けてあげられなかった時は、自分が虐待しているのと同じだとずっと自分を責めることになった。

ひとは、一人ひとりに物語があって、それは、自分にも、あなたにも、お年寄りにも、身体の不自由な方にも、音声言語が不自由な方にもあるんだということ。福祉の仕事をしているとしばしば人権という言葉に出くわすけど、自分の中で咀嚼できている人間はどの位居ることだろうか。

ひとは、いつでもどんな時でも、一人の大切な人間として扱われたいんだ。

 

私は、大切に扱われたい。

 

三十年以上ずっと気がかりでいて、ずっと母に病院名を調べてくれ、とお願いしてきたけれど、母には母の事情もあって、母はずっと調べようとはしてくれずにいました。母なりに病院名を調べることを含め、この件には触れたくない、避けたい、思い出したくない様子でした。私は母なりに辛い作業になることに理解は示しつつも、「おばあさんを助けてあげられなかったけれど、せめて病院名くらいは知ろうよ。そうでなければ、おばあさんも浮かばれない。お母さんだってずっと引っかかったままでいいの?昨日今日急にお願いしたことではなくて、何年も前から調べて欲しい、とずっとお願いしてきたことだよ。調べないならもう一緒に田舎へお墓参りへ行けないよ。」

母はこの件で何度も逆ギレし、私に暴言を吐いたりもしました。しかし一人ではもうお墓参りにも行けない年齢となり、姉妹へ電話をかけ病院名を調べてくれました。

 

それは、当時ニュースで報道された病院でした。「おばあさんが入院していたのはここじゃないのか?時期も場所もあてはまるじゃないか」当時小学生だった私の見立て通りでした。

三十年以上たって、高齢者や障害者に関連する法律が変わりました。介護保険制度もできました。高齢者のボケは認知症という言葉で呼ばれるようになりました。人々の人権感覚は変わったか。もう誰も悲しい扱いはされていないか。どの病院も、どの福祉施設も、安心できる利用したい施設になっているか。

アメイジング・グレイス

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今宵の月のように

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